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ロベルト・カルロス

ロベルト・カルロス

 サッカー選手のロベカルと同じ名前だが、こちらは音楽界の大御所。ブラジル国内では音楽の「王様」とも呼ばれている。

 ロベルト・カルロスは1941年4月19日、エスピリットサント州の小さな町、カショエイロ・デ・イタペミリンで父ロベルチーノ・ブラガと母ラウラ・モレイラ・ブラガの四男として生まれる。幼いときからギターやピアノを習い、9歳のときに母に勧められ、地元ラジオ局の子供番組に出演。そこでフェルナンド・ボレルの「Amor y más amos」を歌う。ロベルト・カルロスは、当時をこう振りかえる。「両足は震えていたし、あんなに緊張したのは人生において初めてだったよ。あんな気持ちにはそれまでなったことがなかったし、表現する力というのはとてもすばらしいと思ったね」その後も、彼はラジオ番組に出演し続ける。

 ピアノもすっかり修得した15歳のとき、エルビス・プレスリー、リトル・リチャード、ジーン・ビンセント、チャックベリーなどが世界中で人気を集めると、ブラジルにもロックンロール旋風が巻き起こる。ロックブームの影響を受け1957年に友人と共にバンド「Os Sputniks」を結成。翌年に「The Snakes」のメンバーとなり、TVコンチネンタル局の音楽番組に出演を果たす。1959年、初のシングル「João e Maria/Fora do Tom」で正式デビュー。1961年にはアルバム「Louco por Você」をリリースする。その後も若者向けの曲を数多く発表し、全国で爆発的人気を得た。

 ブラジルが生んだ元祖アイドルの1人となったロベルト・カルロスは、音楽活動に加え映画にも出演するなど精力的に活動の場を広げていく。70年代にはそれまでのスタイルを変え、バラード色の強い曲作りに没頭。「Detalhes」「Emoções」「Café da Manhã」「Força Estranha」「Guerra dos Meninos」「Fera Ferida」「Caminhoneiro」「Verde e Amarelo」などヒット曲を量産する。80年代初期に他局の番組出演を禁止する独占契約をグローボ局と結び、毎年年末に特別番組を放送するなど、今ではすっかりグローボ局の顔となった。

 ポルトガル語のほか、スペイン語や英語でも歌い、これまでに世界各国でCDをリリースしている。ラテン系の歌手の中ではフリオ・イグレシアスに続くレコードの売上を誇り、その数は8000万枚から9000万枚とも言われている。

ロベルト・カルロスのディスコグラフィー


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