[シンチア・ユミ/NB]
ブラジル航空史上最悪の犠牲者を出したTAM航空機事故は、ポルトアレグレ市(リオグランデドスル州)を出発し、サンパウロ市へ到着するはずだった。今回の事故で亡くなった犠牲者の数は200人を上回るもようで、その中には11人の日系ブラジル人と1人の日系ペルー人が搭乗していた。事件によって大きな喪失感、悲しみと怒りを感じた日系人犠牲者の友人らは、沈黙を破り死者に対しその最後の敬意を捧げることを決めた。
サンパウロ市出身のロジェリオ・サトウさん(28)は、大手銀行に勤め、カード盗難などによる補償部門の責任者だった。友人のエジソン・メイカルさんはその死を痛く嘆いており「彼は長年の友人でした。僕の人生において大切な場面を共有したかけがえのない友人でした。今年の5月、僕の2番目の娘が生まれたとき、ロジェリオはわざわざ病院まで駆けつけてくれたのです」と語った。
メイカルさんによると、サトウさんは長年交際していた女性との結婚を考えていたそうだ。「彼は結婚を決めて幸せの絶頂期にいました。私も仲人として式に招かれていて、式を楽しみにしていたのにこんなことになってしまって…」。
サトウさんはジャラグアー市に住んでおり、後に残された両親と2人の兄弟は大切な家族の突然の死に悲嘆にくれている。
同じくサンパウロ市出身のバンダ・ウエダさん(42)は、サンパウロ大学、サンタカタリーナ大学、スペインの大学などを経て、現在はリオグランデドスル連邦大学(UFRGS)の地理学コーディネーターとして勤務していた。彼女の夫も同大学で教授の職に就いており、息子は18歳。
スペインのバルセロナ大学で人文地理学を専攻し博士号を取得した。博士号取得は21年間連れ添った夫の協力により実現したものである。UFRGSの採用試験に合格後、2人はポルトアレグレに移り、およそ8年間暮らした。大学の同僚の間では、活発で意欲的に仕事に取り組む姿が印象に残っており、とくに学生援助、奨学金制度の分野に関する活動は高く評価されていた。
事故当日、バンダさんはエスピリットサント大学での論文発表のため当地に向かう途中だった。「彼女はとても落ち着いた女性で仕事に誠実で、大学に貢献していました。家族を大事にし、仕事の約束がある時のみ家を空けていたようですが、それも稀で常にご主人と二人三脚で頑張っていました」とバンダさんの友人でサンパウロ大学の地理学の教授、ジュリオ・スズキ氏は述懐した。
マリアナ・スズキ・セルさん(30)はポルトアレグレで面接をした帰りに事故に遭った。
2001年から2005年まで留学奨学生として京都大学で国際環境法学を専攻したマリアナさんは、リオデジャネイロのNGOにボランティアとして所属し、環境問題に取り組むと同時に、検事になるための学業にも励んでいた。
彼女の友人でリオデジャネイロ連邦大学法学部のジョゼ・マルコス・ドミンゲス教授によると、マリアナさんはとても勤勉であり、家族をとても愛する親切で魅力的な人物だったという。「彼女は私にとって娘のような存在で、よく家にも遊びに来ていました。彼女が日本に留学している間、私と妻と2人の息子は日本に行って彼女と会いました。マリアーナは六本木を案内してくれ、とても楽しかったのを覚えています」とジョゼ氏は深い悲しみの中で語った。「ブラジルにおいて湿地帯保護の偉大な専門家や日本とブラジルの交流の架け橋にになり得るはずであった彼女を失った損失は大きい」。マリアナさんは父親と継母と2人の兄弟を残して亡くなった。
27日までに89人の身元が確認された。その遺体の中には3人の日系人も含まれていた。マリンガ出身の技術者エウリコ・トミタ氏、日本で就労経験のあるメリッサ・ウラさんと2歳の娘。現在も身元確認作業が昼夜を徹して行われているが、犠牲者全員には1ヶ月以上かかるとみられている。